big5
「さて、前編では産業革命の中核を担った「蒸気機関」の話を見てきたので、次は製鉄業と繊維業の話を見ていきましょう。」
名もなきOL
「はーい、今回もよろしくお願いします!」
big5
「それでは、前編と同じ年表から見ていきましょう。」
年 | 産業革命イベント | 政治イベント |
1708年 | (蒸気機関)ニューコメンが鉱山で実用化された蒸気機関を発明 | |
1709年 | (製鉄)ダービーがコークス製鉄法を開始 | |
1714年 | ラシュタット条約締結(スペイン継承戦争 終結) | |
1733年 | (繊維)ジョン・ケイが飛び杼を発明 | |
1763年 | 七年戦争終結 | |
1764年 | (繊維)ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明 | |
1769年 | (繊維)アークライトが水力紡績機を発明 (蒸気機関)ワットが蒸気機関を大幅に改良 |
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1775年 | アメリカ独立戦争 開戦 | |
1779年 | (繊維)クロンプトンがミュール紡績機を発明 | |
1782年 | (蒸気機関)ワットが蒸気機関の回転運動転換の特許を取得 | |
1783年 | アメリカ独立戦争終結 | |
1784年 | (繊維)カートライトが力織機を発明 | |
1785年 | (製鉄)ヘンリ・コートがパドル炉(攪拌高炉)の特許を得る | |
1789年 | フランス革命 始まる | |
1803年 | (蒸気機関)フルトンがセーヌ川で蒸気船の遡上実験に成功 | |
1804年 | (蒸気機関)トレビシックが蒸気機関車を発明 | ナポレオンがフランス皇帝に即位 |
1807年 | (蒸気機関)フルトンが蒸気船を建造 | ナポレオンがポルトガル征服 |
1814年 | (蒸気機関)スティーヴンソンが蒸気機関車を製作 | ナポレオン退位 |
1825年 | (蒸気機関)ストックトン&ダーリントン鉄道でスティーブンソンの「ロコモーション号」が運航開始 | デカブリストの乱 |
1830年 | (蒸気機関)リヴァプール・マンチェスター鉄道会社が営業開始 | フランス七月革命 |
big5
「前編で見たように、産業革命の主役となったのは蒸気機関でした。最初は鉱山の排水装置でしたが、ワットの改良により様々な機械装置への応用が可能となり、蒸気船や蒸気機関車の発明に繋がっていたわけですね。」
名もなきOL
「一気に時代が現代に近づいたかんじがしますよね。」
big5
「そんな産業革命を裏で支えていたのが、製鉄業の技術革新でした。蒸気機関が作り出す強いエネルギーを制御するためには、頑丈な金属製の部品が必要です。それを支えていたのが、これから見ていく製鉄業の発展なんですね。
さて、OLさん、鉄ってどのように作られていると思います?」
名もなきOL
「鉄っていうと、熱で真っ赤になっているのを、トンカチでガンガン叩いて鍛えて作っているイメージですね。「鉄は熱いうちに打て!」みたいな。」
big5
「それは鉄を作っているというよりは、刀を作っているイメージですね。刀はたいてい鉄でできているのですが、そもそもの鉄はどうやって作っていると思います?」
名もなきOL
「え〜と、たしか鉄鉱石っていう鉱石を原料にしていたような・・・」
big5
「そのとおりです。鉄の原料は鉄鉱石なんです。鉄鉱石は、鉄を含んでいる石です。ただ、そのままでは不純物を多く含んでいるので、あまり質の高い鉄にはなりません。そこで、中世では鉄鉱石と木炭を炉で加熱して高温にすることで、鉄鉱石に含まれている不純物を除去し、純度の高い鉄を作っていました。ところが、木炭を使う方法はあまり効率が良くなかったんですね。さらに、やがて木炭が不足し始めたため、他の方法を考えることになります。1709年、イギリスで製鉄業を営んでいたダービー(この年32歳)に、木炭ではなく石炭を加熱乾燥して作ったコークスを使って鉄を作ることに成功しました。コークスを使うと、木炭よりも高い温度で鉄を熱することができ、鉄の純度も高くなるので、コークスは少しずつ普及していくことになったんです。コークスを使う方法は、同姓同名の息子・ダービー2世に受け継がれて発展し、1735年にはコークス製鉄法として完成。さらに、蒸気機関を使って送風することで炉の温度を維持するなどの改良も加えられ、製鉄業は技術的に進歩していったんです。これらの製鉄法で作られた鉄が、蒸気機関を作る材料などとして使われていったわけですね。」
名もなきOL
「なるほど、産業革命を影で支えていた、というのはそういう意味なんですね。」
big5
「製鉄業を発展させた重要な技術革新はもうひとつあります。それが、ヘンリー・コートが開発したパドル法と呼ばれる製法です。」
名もなきOL
「パドル法って、どんな方法ですか?」
big5
「パドル(paddle)とは「かき混ぜる」という意味で、ドロドロに溶けた鉄をかき混ぜて不純物を取り除く方法です。あまり深入りすると歴史の話というよりは化学産業の話になるので、この辺にしておきます。このパドル法は、イギリス各地の製鉄業者に次々と採用され、イギリス製鉄業の発展に大きく貢献しました。」
名もなきOL
「鉄って、あんまり普段は意識しないですけど、考えてみると現代の私たちの生活に、当たり前のように使われていますよね。文明社会を維持するために、必要な物質ですよね。あらためて、そう思いました。」
big5
「さて、産業革命の主役、最後に紹介するのは「繊維業」ですね。当時のイギリスでは、中世以来の「毛織物」よりも肌触りが良い、綿花を原料とした「綿織物」が繊維業の主役になってきた頃でした。この「綿織物」業界における技術革新が、イギリスの社会はもちろん、世界全体に大きな影響を持つことになったんです。」
名もなきOL
「うーん、なんか蒸気機関とか製鉄業に比べて、繊維業ってそんなに「科学技術」っぽくない気がします。技術うんぬんよりも、職人さんの手作業っていうイメージですね。それが、産業革命の主役になったんですか?」
big5
「イメージはわかります。そのとおりです。その、人手に頼る「繊維業」に機械が入ってきたら、大きな社会変革に繋がってくると思いませんか?」
名もなきOL
「それってもしかして、機械が人の代わりに仕事をするようになって、失業者が増えてくる、という話になるっていうことですか?それなら、わかる気がします。」
big5
「それでは、繊維業の産業革命の話を始めましょう。最初に登場するのは、ジョン=ケイ(John Kay)で、彼が発明したのが飛び杼(とびひ Flying Shuttle)です。1733年(この年29歳)にジョン=ケイが発明した飛び杼を使うことで、織機の生産効率を大きく伸ばすことが可能となりました。」
名もなきOL
「う〜〜ん、なんとなくわかるんですけど、飛び杼の何がすごいのかはよくわからないで。。」
big5
「糸から布を織る工程がなんとなくでもわかると、イメージがつかみやすいかな、と思います。織物って何本ものたて糸と横糸を組み合わせて作るのですが、これを全部手でやるとかなり時間がかかります。なので、織機という装置を使って行うのですが、それでもけっこうな手間です。飛び杼を使うと、横糸を通す作業がかなり簡単に行うことができるようになるんです。これは言葉で説明するより、動画を見たほうが理解が早いと思います。」
↓糸から布を作る工程
↓飛び杼の使い方
名もなきOL
「なるほど、なんとなくわかりました。飛び杼は、横糸を通す道具なんですね。確かに、手でやるより早くて正確ですね。」
big5
「ジョン・ケイは飛び杼の特許を取得し、これを基に事業を興します。ところが、ここから思いもよらない展開になりました。飛び杼に自分たちの仕事を奪われる、と恐れた労働者たちが、ジョン・ケイの事業差し止めを裁判所に請求しました。それだけではなく、ジョン・ケイに対する脅迫もあり、身の危険を感じるほどだったそうです。さらに、飛び杼の有効性があまり理解されず、普及のために改良型を作成したところ、これが原因となって特許問題で裁判になったりと、とにかく事業の邪魔をする問題ばかりに遭遇してしまいました。」
名もなきOL
「う〜ん、蒸気機関や製鉄の時には聞かなかった話ですね。その後、ジョン・ケイさんはどうなったんですか?」
big5
「破産したうえに、身の危険を感じるイギリスを捨てて、フランスに渡りました。当時、フランスでは発明家を保護する政策が取られていたんです。フランスと交渉して、ジョン・ケイは飛び杼の独占販売権を獲得しますが、権利侵害のコピー商品が横行したために事業はうまく行かず失敗。その後も、発明家としての活動を続けていたようですが、1779年に書いた手紙を最後に消息を絶っています。おそらく780年に亡くなったのではないか、と考えられていますが、定かではありません。」
名もなきOL
「歴史に名を残す偉業を成し遂げたのに、最後は消息不明なんて・・儚さを感じさせますね。」
big5
「そうですね。さて、ジョン・ケイは幸せな成功者とはなりませんでしたが、飛び杼は徐々に普及していき、綿織物の生産効率は向上していきました。次に起こった問題は、織物の材料となる糸の不足です。糸が足りないために、織工たちが仕事を止めて手待ちになってしまう、という状態が増えてきたんですね。綿糸は糸車を使って綿花から一本ずつ取り出すのですが、これを効率よく取り出す必要が出てきました。次に登場するのは、綿花から糸をつむぐ道具である「紡績機」です。
最初に大きな発明をしたのが、1764年にジェニー紡績機(多軸式紡績機)を発明したハーグリーブズです。ちなみに、ジェニーという紡績機の名前は、ハーグリーヴズの妻or娘の名前からとった、と言われています。ジェニー紡績機は、一人で同時に6〜8本の糸をつむぐことができる、という従来の製法よりもたいへん効率的なものでした。その名前は、後に社会主義思想の源流となるエンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で記述しています。」
ジェニー紡績機の絵
名もなきOL
「生産効率を上げる、って重要ですよね。私も会社で「生産効率を上げるために〜〜〜」っていう話をよく聞きます。このジェニー紡績機は、どんどん普及していったんですか?」
big5
「普及していったんですが、綿糸不足が解消されると、今度は綿糸が余るようになり、綿糸の価格が下がってきたんです。需要と供給の理論ですね。そのため、ハーグリーブスは逆恨みされるようになり、移住を余儀なくされました。しかも、ジェニー紡績機よりもさらに優れた性能を持った道具が開発されたので、紡績の主役としての役割はけっこう短命に終わってしまったそうです。」
名もなきOL
「あらら、それは残念ですね。」
big5
「ジェニー紡績機は人力で動かす道具だったので、そこまで機械化が進んでいるわけではありません。また、糸の強度が不足することもあり、糸が途中で切れてしまうことがある、という技術的な課題も抱えていました。それらを解決するかのように、間もなく登場したのが1769年のアークライト(Arkwright)の水力紡績機です。」
リチャード・アークライト肖像画 1790年
名もなきOL
「まぁ、立派なお腹!ウチの部長に負けないくらい、立派なお腹だわ。きっとお金持ちだったんでしょうね。水力紡績機、っていうことは、人力ではなくて水の力で動かしていたんですか?」
big5
「そのとおりです。人力ではなく、水車を動力としているのが特徴です。そのため、ジェニー紡績機よりも強くて丈夫な糸を作ることができました。ただ、欠点としては、人力よりも強い力で糸を引っ張るため、逆に細い糸は作れないこと。また、水車がないと動かない、つまり川の近くでないと動かない、という点ですね。ジェニー紡績機はスペースさえあれば民家でも使える道具ですが、水力紡績機は川の近くに工場を作り、そこに設置する、という使い方でした。これが、アークライトの水力紡績機の名を歴史に残したもう一つの理由になります。従来、紡績というのは個人個人が民家で行う、いわゆる「家内制手工業」でした。しかしアークライトは工場を作り、そこに雇った労働者を集めて働かせる「工場制手工業(マニュファクチャリング)」を始めたわけです。」
名もなきOL
「なるほど、工場を作って人を集めて大量生産する、という現代の工場生産のはしりになったわけですね。それは確かに重要だわ。立派なお腹のアークライトさんは、その後どうなったんですか?」
big5
「水力紡績機の特許は、その後の裁判で1785年に取り消されています。そもそも、水力紡績機を本当にアークライト自身が発明した、というのもけっこう怪しいようで、発明したのはアークライトではなく、資金支援をしていたトーマス・ハイズという人物である、という説も有力です。ただ、公的には評価されており、1786年にはイギリス王ジョージ3世からナイトに叙勲されています。発明家、というよりは起業家と言った方が正しいかもしれませんね。」
名もなきOL
「見た目が「発明家」って体型じゃないですもんね。」
big5
「さて、糸をつむぐ紡績の話は次が最後になります。1779年にクロンプトン(Crompton)が発明したミュール紡績機です。ちなみに、「ミュール(mule)」とはラバのこと。ラバは馬とロバの雑種です。ミュール紡績機は、細さと美しさが長所のジェニー紡績機と、丈夫さが長所の水力紡績機の両方を併せ持っていたので、この名が付けられた、と言われています。」
名もなきOL
「細くて美しく、しかも丈夫なんて、凄いじゃないですか!きっと、クロンプトンさんは大成功したんでしょうね。」
big5
「ところが、彼は経済的にはまったく成功しませんでした。彼が開発したミュール紡績機は、アークライトの水力紡績機の特許を侵害しているのではないか、と思っていたそうです。そこで、クロンプトンは自分がミュール紡績機を使うだけだったのですが、クロンプトンの糸の品質の高さに驚いた同業者たちが、なんとかしてその秘密を暴こうとしました。そんな同業者らに迫られて、クロンプトンは自発的な寄付をする代わりにミュール紡績機を公開しました。ミュール紡績機の優秀さに驚いた同業者たちは、たちまち類似品を作成していったのですが、寄付はわずか67ポンドしか集まらなかったそうです。」
名もなきOL
「あぁ、クロンプトンさん、騙されてしまったんですね・・」
big5
「当時の経済競争の激しさを物語っている気がしますね。その後、ミュール紡績機は蒸気機関を使って自動化され、紡績技術の発展はここで一息つくことになります。最後は、織機に戻って1784年にカートライト(Cartwright)が発明した力織機(Power loom)です。カートライトは、これまで産業革命の話で登場してきた人物達とは毛色が異なります。元々はノッティンガムの名家の生まれで、オックスフォード大学を卒業した後は、イギリス国教会の牧師をしていました。」
名もなきOL
「え!?聖職者なんですか?なんか、発明とはだいぶ縁遠い世界の人なんですね。」
big5
「名家の生まれだったので、あまりあくせく働く必要はなかったんでしょうね。カートライトの発明のスピードもゆっくりなので、その性格が出ているのではないか、と思います。さて、カートライトは聖職者としての人生を歩んできたものの、技術の分野にかなり興味を持っていたそうです。1784年に作成した力織機は、人が手で動かす道具ではなく、自動で動く機械でした。しかし、最初の力織機は実用に耐えるものではなかったようで、それからゆっくりと時間をかけて実用化できるように改良を重ねていきました。1787年には、動力として蒸気機関を導入するなど、改良に改良を重ね、1789年に実用に耐える力織機の特許を獲得しています。」
名もなきOL
「発明する聖職者というのもそうですが、発明に対する取り組みものんびりで、独特なかんじなんですね。カートライトさん。」
big5
「そうですね。ただ、力織機の普及により、これまで人が動かしていた機織り機は、蒸気機関などが動かすようになり、織物は工場で大量生産することが可能になったので、これも重要な変化ですね。このように、繊維業における産業革命は、人手による生産体制から、工場と機械による大量生産へと社会が移り変わる重要な役割を果たすことになりました。これによって、イギリスにおいては会社を経営する「資本家」と、資本家に雇われて労働力を提供する「労働者」という2つの階層ができあがり、現代に続く資本主義社会の基礎ができあがってきたわけですね。」
big5
「というわけで、産業革命の話を前編と後編に分けて見てきましたが、いかがでしたか?」
名もなきOL
「だいぶ「産業革命」のイメージが変わりました。高校生の頃は、人と発明の名前の暗記だけだったので、キライな話だったんですけど、発明した人の話とか、産業との関りとかも一緒に勉強すると、イメージがつかみやすくていいですね。」
big5
「そうですね。産業革命により、現代社会の基本構造ともいえる資本主義社会ができてくるので、歴史上の役割ってとても大きいんですよ。そして、こうして出来上がった資本主義社会は、労働者を搾取する内容だったので、マルクスやエンゲルスの「社会主義」が登場する原因にもなるんですよ。アメリカ独立と、フランス革命で火ぶたを切られた「自由と革命の時代」は、まさに近代社会の始まりを告げる号砲だったと言えると思います。
さて、産業革命を経て社会が大きく変わったイギリスは「世界の工場」として、ヨーロッパ諸国に先駆けて次の段階へと進んでいくことになるのですが、その話は別の機会に。」
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